体罰について一考 その1

カテゴリー │ニュースネタ

 かなり古いニュースからですが、こちらの記事を読んで、皆さんどう思われますか??
 本文は4ページにわたる長い文章です。

これが体罰か、シューティングナイフで同級生脅した小6男児の頭叩いた校長に「戒告」処分、退職…抗議殺到、教委の“過剰反応”に疑問の声(産経ニュースWEST 2013.8.26 )

大阪市立桜宮高校の体罰問題で批判にさらされた市教委が再び「体罰」で揺れた-。小学校内にシューティングナイフを持ち込んで同級生を脅した男子児童ら7人の頭をたたいたとして、市立小学校の校長(62)が戒告の懲戒処分を受け、その後依願退職した。教員の体罰をめぐっては厳しい目が注がれるようになったが、この処分をめぐっては市教委に「指導に問題はない」「なぜ処分したのか」と100件を超す批判の電話やメールが押し寄せた。桜宮問題で市教委が体罰に神経をとがらせていることが処分の背景にあるが、教育現場や有識者からは「教員が萎縮(いしゅく)して、子供に対して『触らぬ神に祟(たた)りなし』になってしまう」「子供が増長する」などと懸念の声が上がっている。
(以下下記ページ)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130826/wlf13082607000000-n1.htm


 ここで一考

 抗議殺到と書いてありますが、校長先生を知っている方や一般の方から「処分が重過ぎるのでは?」という声が上がることは確かにあるでしょう。しかし、もし校長先生の発言を読んだ上で、教育や子育てに関わる関係者からも同じく擁護の声が上がっているとすれば、それは問題。今後そういう意見は「0」になる様にしていかなければいけないなぁと思いました。

 この体罰問題のポイントはここですよね。

>>騒動を知った校長は男児を音楽室に呼び出した。別の同級生6人が男児からナイフを持ってきたことを打ち明けられながら学校側に伝えなかったことも分かり、校長はナイフを没収した上で7人の頭を平手で1発ずつたたいた。児童たちの保護者も呼び、家庭でも指導するよう求めた。 「児童が反省している様子はわかった。しかし命に関わる事案だったので、厳しく指導しようと思ってたたいた」 別の保護者を経由して事案を把握した市教委の聴取に、校長は手をあげた理由をこう説明したという。


 ニュースの見出しを読んで、校長先生が緊急回避や子どもの身を守るために叩いたのなら仕方がないとも思ったのですが、どうもそういった緊迫した場面ではなかったんですね。しかも感情が溢れてつい叩いてしまったというわけでもない。「厳しい指導」として叩いたと言うのです。叩くことが「指導」であるという認識も、「厳しい」ことだという認識も対人関係職にいる人間としてはいまいちです。

 ナイフを簡単に持ってはいけないこと、ましてや人に向かって使用するなど言語道断であることは子どもたちにしっかり教えないといけないことです。
 そこでまず必要な情報を集めます。

 ・加害者、被害者、言わなかった子、それぞれどんな子?
 ・関係性は?
 ・ナイフの危険性が理解できている子だったのか?
 ・なぜナイフを使うという発想が出てきたのか?
 ・なぜ実行できたのか?
 ・そもそも、なぜそんなナイフが存在したのか?
 ・過去にも同じようなことを起こしていないか?
 ・生育歴や家族、生活環境は?
 ・能力や生得的な特徴は?
 ・医療や専門家(時に警察)にも入ってもらうべきか?
 ・再発させないためには何が必要か?
 ・今後その他のトラブルが起きる種はあるのか?

 そして、その上でどう教えることがよいか?です。

 考える事、確かめることがいっぱい有りますね。その上で「叩く」という選択をしたのでしょうか?よく考えれば考えるほど体罰よりよい方法がたくさんあることに気が付きます。

 子どもを見立て、その子に合った指導や教育、トレーニングを実施し、場合によっては医療や他機関での治療や療育を勧める選択ができるのがプロの教育者です。ある意味腕の見せどころです。ちなみに今では動物の調教でもほとんど体罰は使用されていません。正しい行動、正しい理解ができたときに報酬をもらったり褒められたりするという正の強化を繰り返し、行動を変容させていきます。
 よく「言っても分からないから・・・」と言う人がいますが、動物だけでなく赤ちゃんや障害者にも手を挙げそうな言い訳ですね。

 今のところ私自身は子どもたちに手を挙げたことはなく、叩いた方がよかったと思ったこともありません。しかし叩きたいと思ったことは何度もあります。それは毎回完全に叩く側の都合です。頭にきた自身の感情放出とストレス解消、もしくは手っ取り早く大人しく服従させたいかです。

 叩かれて育ってしまうと、それを肯定してしまうことがあります。
 このニュースに抗議をされた方の中には自身が叩かれて育った経験がある方も多いのではないでしょうか。私を含め、今の子どもたちの親の年代は叩かれて育つ機会の多かった世代です。誰しも自分の過去を否定したくはないものです。しかし幼児虐待のニュースが流れるたびに、何とかこの悪しき習慣を断ち切らないといけないと思います。

 そして体罰とは時に外に向かうだけでなく内にも向かいます。自傷行為や自殺は、自身への体罰です。現在日本では自殺者が後を絶ちません。体罰容認の発想が、他者だけでなく自身も傷つけることがあると知ってください。そして叩かれて育った人が皆順風満帆に生活している訳ではないと知ってください。

 もう体罰の連鎖は止めましょう。
 体罰による事故も、自殺も要りません。
 間違いなく体罰は必要ないです。より高いレベルの教育を目指しましょう。

 最後に・・・

<中田英寿のエピソード>
中田の中学時代の有名なエピソードに次のようなものがある。
当時、甲府北中のコーチをしていた皆川新一は、試合に負けた生徒たちに罰走として50本のダッシュを命じた。

『子供たちは不承不承ながら当然のことのように罰を受けたのですが、ヒデだけはベンチの脇に立って走ろうとしないのです。
怪訝に思った私は、
「どうして走らんのだ!」と語気を荒げたのです。
ヒデの答えはこうでした。
「走る理由がわからない。俺たちだけが走らなければならないのは納得できない。皆川さんも一緒に走ってくれ。だったら俺も走る。」

ヒデ少年は、ある意味では問題児だったと言えるかもしれません。中二事件の時、私が、ふざけたことを言うなと殴りつけていたら、果たして中田英寿という個性は、世界に羽ばたくことができたでしょうか。
そう思うと、私は時々ぞっとすることがあるのです。

ドイツの子供たちは、試合前のミーティングで、コーチの指示に対して必ず説明を求めてきます。「なぜこのシステムで戦うのか」 「なぜこの戦術をとるのか」。
それに対してコーチは、システムや戦術の意図をきちんと説明します。そうやって納得させないと、ドイツの子供たち(ヨーロッパの他の国の子供たちもそうなのでしょうが)は動かないのです。

ドイツ留学中、こうゆう場面に出会うたびに、ヒデはこのタイプのこどもっだたのだなあと思いました。日本の子供としては独特の個性ですね。彼がヨーロッパのサッカーで通用しているのは、このヨーロッパ人に似た個性の持ち主であることが要因のひとつなのかもしれません。』

http://matome.naver.jp/odai/2135791002863231601/2135791111763359903 より抜粋

ではでは・・・。



タグ :体罰

同じカテゴリー(ニュースネタ)の記事

 
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
体罰について一考 その1
    コメント(0)