いい言葉 その1の2
いい言葉 その1の1
『過去と他人は変えられないけれど、自分と未来は変えられる』の続き
さっぱり勉強しない息子、娘に、お父さんお母さんが「勉強は、大事なのよ」と長年にわたって、無理やり勉強させていたら、ある日突然、学校へ行くことを嫌がりだしたり、グレて不良っぽくなっちゃったり、体調不良を訴えだしたり・・・なんてのは笑えないですよね。けど、よくあるんです。
かといって「根性だー」と更に無理に勉強させて、病気になってしまうようであれば、それは
虐待です。逆に放っておくのは、放任ではなく単なる
放棄です。
ではどうするの??
<ここで一考>
『過去と他人は変えられないけれど、自分と未来は変えられる』的に考えれば、まず人に何かを求める前に自分ですよね。
例えば、
『子どもが勉強しない』という事態に直面したとき。
「やりなさい」と叱る、塾に行かせる、やらないとバツを与える、やったら褒美を与える、切々と勉強の大事さを説く、好きなように放っておく・・・・などなど
これらは大体相手に変化を求める内容・・・
けど、まず相手の前に、自分からと考えると
まず
私は、学生時代に、勉強をしたかな?
勉強が楽しかったかな?好きだったかな?
私は、どのように勉強をしてきたかな?
効果や結果はでていたかな?
どのように親や先生に促されてきたのかな?
私は、勉強を自発的にしたかな?
尻を叩かれた?嫌々やっていた?
勉強をしてきたのなら、どこがこの子と違うんだろう?
勉強をしてこなかったのなら、なぜ子どもには求めるのだろう?
後悔しているから?大事さを知ったから?
勉強は、無理にでもしなきゃいけないことなのかな?
本当に、勉強をしないとこの子は不幸になるのかな?
何で私は「勉強はしなきゃいけない」と考えるのだろう?
私が子供に勉強をやらせることは、子供の幸せを考えた行動なの?
やっていないと、自分が不安だから??
何でこの子は、そんなにやりたくないんだろう?
勉強は辛いものだと小さいうちに伝えてしまったかな?
知ることや解けることは楽しいことのはずなのに・・。
この子は勉強が大事だと知っていて勉強しないのかな?別に大事だとは思っていないのかな?それとも大事かどうかの判断がつかないのかな?
それとも勉強を嫌がっているのは、点数が悪いと私が叱るせい?
褒められもせず、好きでもなく、楽しくもなければやらないでしょ。
やったらおもちゃを買ってあげてるのに・・。買ってあげる約束をしたときにだけやるようになっちゃったのかな?
私は『なぜうちの子は勉強しないんだろう?』『何でしたくないんだろう?』と、子どもの目線で真剣に考えたことがあったかな??
私は、子どもの本音を聞いていないかも。
子どもは本音を伝えているんだけど、自分の意見と違うから、聞こえていないかも、心に届いていないかも。
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っていろいろ考えてみると
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実は他の子よりも能力的に劣っていて、ひどく苦しんでいるかもしれない。
クラスの皆が簡単にやっていることができないことを、恥ずかしくて誰にも言えないのかもしれない。
やらないからできないんだということで、自分を守っているのかもしれない。やってもできない自分を直視できないかもしれない。
文字や図形の形が他の子と違って見えているのかもしれない。
ゆっくりやればできるのに・・。理解のペースがとってもゆっくりなのかもしれない。
小さい頃散々叱られて、勉強は辛いものだとしか思えないのかもしれない。問題が解ける喜び、達成感、結果だけでなく頑張った経過の尊さを教えられてきていないかもしれない。
わざと勉強をしないでいて、親に怒られることを自ら望んでいるかもしれない。
勉強の重要性が分からないのかもしれない。
他にやりたいことがあるのかもしれない。勉強なんかよりも、サッカーや野球を死ぬほどやりたいのかもしれない。けど親が勉強をしなきゃいけないと言うから、本音を言えない。
などなど・・気が付いていなかったことに、気がつくことも多いと思います。隠れていた原因を発見するかもしれません。
色々な角度から、広い視野で見るには、相手の方ばかり見るのではなく、まず自分を見ることも忘れずにですね。
ではでは・・。
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